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田中先生 唐桑緊急シンポ参加報告です。

唐桑西舞根報告

4月6日から8日に唐桑西舞根潜水調査等を進める中で、自然に発想された緊急現地シンポジュウムが「沿岸漁業再生:東日本大震災『森は海の恋人運動』を緊急に支援する研究会」として、国際日本文化研究センター安田喜憲教授のリーダーシップの下、4月30日午後から5月1日午後にかけて開催された。気仙沼市街地や唐桑地区の漁村の被災現場ならびにそこに根付く復興への息吹を見聞して、この地の基幹産業である沿岸漁業の再生を軸にした日本の新生への道を共有することを目的に、現地において緊急に開かれたものである。手弁当参加を基本にした集まりにもかかわらず、九州から北海道まで、この国家的大課題を自らの生きる問題として捉えようとする人たちが、予想をはるかに超えて参加された。
 直前に東北新幹線が開通する幸運にも恵まれ、一ノ関駅に全国から駆け付けた参加者が、主催者の安田先生や当事者の畠山重篤さんの出迎えを受けて12時半に集まった。初めて会う人達も、まるで旧知の間柄のように挨拶を交わし、新たな出会いが溢れた。参加者は2台のバスやレンタカー等に分乗し、一ノ関駅を13時に出発した。東北地方を縦貫する北上川を渡る辺りよりのどかな田園風景が続く。あちこちに桜が満開である。水を張った水田や畑の周りには菜の花が、農家の家々の庭には春を告げるレンギョウ・ユキヤナギ・スイセンなどが咲き乱れ、三陸にも遅い春が確実に訪れていた。やがて、左手に森は海の恋人運動のシンボルとなった室根山が現れる。危ぶまれた第23回森は海の恋人植樹祭も地元の多くの皆さんの「こんな時だからこそ是非やろう」との熱い思いに支えられて、例年どうり6月の第1日曜日(5日)に開催されることが決まっている。今年は、きっと歴史に残る植樹祭が開かれるに違いない。
 気仙沼市内に入り、海辺に近づくとあちこちに瓦礫のたまり場が現れる。大川の河口近くでバスを降りて、被災現場を見た。油が漂った川の中には座礁した漁船、今も無残な姿の車が仰向けに放置されている。これに乗っていた人は無事だったのだろうか。海へと近づくに従い、一面破壊された建物と瓦礫の山である。ここでも多くの建物が焼け焦げ、当時の火災の惨状がうかがわれる。この陰に一体何人の魂が眠っているのであろうか。案内された畠山さんが、かろうじて倒れないで残った電柱を指してあの先まで水が押し寄せ、これからはあの高さ以上を基準に再生を考えざるを得ないですと厳しい現実を説明された。そして、瓦礫の中の破壊の現場でも潮をかぶってもしっかり生きて花を咲かせている草木のたくましさがひときわ印象的であった。
 バスは迂回路を取って水山養殖場に向かった。途中に何か所もの激甚被災の現場に出くわす。中でも数年前に木造校舎からコンクリートの校舎に建て替わった唐桑小学校のすぐそばに漁船が打ち上げられ、危険がこの校舎のすぐそばまできていた現実を知る。ここには畠山さんのお孫さん2人が3月11日の午後いたのである。生と死が紙一重である現実を垣間見た一瞬である。
水山養殖場にはすでに別に気仙沼港の被災の様子を視察された、国会議員の中で唯一の水産学博士である横山信一参議院議員、三重県漁業協同組合連合会の永富洋一会長、この研究会を支えていただいた北海道の宮坂建設社長の宮坂寿文さん達が到着されていた。舞根湾奥には水際を横断する形で道路が水山養殖場に通じていたが、大地震で50~60cm以上の地盤沈下により満潮時には完全に水没し、通行不能になっている。その奥の低地には何軒もの住宅が建っていたが、今では基礎のコンクリート部分のみがその痕跡を残している。つい先日まで庭であった場所には海水が貯まっている。ここは、かつては湾奥部の重要な干潟域であり、アカガイ等が沢山取れた場所であったと聞く。自然は人間の行為に対して、元に戻しなさいとのメッセージを送っているようである。果たしてこのメッセージを受け止められる謙虚さを人はまだ持ちあわせているであろうか。
 水山養殖場での被災状況の説明を畠山さんより受けた後、バスで宿泊場所となる国民宿舎唐桑荘に移動した。この国民宿舎は陸中国立公園の一部をなす唐桑半島御崎岬の高台にあり、津波の直撃を受けることはなかった。夕食の後、参加者が大広間に集まり、自己紹介を中心に懇親の場が設けられた。実に多様な皆さんが同じ思いでこの唐桑に集まった。熱のこもった自己紹介に、通常はざわつく懇親会場は、「よっし、いいぞ」などと激励の声が飛ぶ中で、皆が聞き入った。しかし、参加者の3分の2程度まで話が進んだ頃には10時を回り、京都大学フィールド科学教育研究センター長柴田昌三さんから、畠山さんへの社会連携教授の辞令が渡され、これに答えて「この現実を若い学生さん達には是非見てもらいたいので、この夏には少人数セミナー「森は海の恋人の故郷に学ぶ」を必ず実施します」との力強い挨拶を締めに、一次懇親会は一段落した。夜に弱い筆者は早々に床に就いたが、懇親の輪は延々と続いたと聞く。
 唐桑半島の沖には北上する暖流黒潮と北から南下する寒流親潮がぶつかり、世界3大漁場となっている。そして、その背景には遠くユーラシア大陸を東に流れてオホーツクに注ぐアムール川流域からもたらされる溶存鉄が深く関わることが、北海道大学白岩孝行さんをリーダーとする研究グループにより解明されたばかりである。海とともに生きてきたこの地区には大漁や安全を祈願する古く立派な御崎神社がある。この神社の周辺の森にはトドマツやクロマツのほか、亜熱帯性の照葉樹タブ等の大木が魚附き林を形成している。以前に、京大の少人数セミナーで学生さん達を連れてこの魚附き林を見にきたことがある。その時にはなかった仲網大漁記念碑が新たに建っていた。
 江戸時代からこの唐桑半島周辺の海にはマグロ(最高級のクロマグロと思われる)が沢山来遊した。世界三大漁場と言われるこの海はイワシ・サンマ・サバなどクロマグロの餌になる魚たちがわき出るほどいる。クロマグロはその魚たちを追い求めて魚附き林直下の岸辺に来遊する。江戸時代以来、そのクロマグロの通り道に網(建て網と呼ばれる定置網)をしかけて、人々はこの海の恵みを享受してきた。この記念碑には、今から100年ほど前の1911年の記録として、一漁師が自分の祖父が孫子のためにと設置した建て網を仲間30数人とともに作り直し、一人当たり300百円(今のおよそ五千万円相当)もの収入を得て、地域は空前の繁栄を見たことに対する感謝の気持ちが書きとめられていた。ここには、人と自然のつながりとともに時間を通した人と人のつながりの意味が書きとめられていた。この大震災からの三陸沿岸漁業復活のリーダーとして、もう数年で古希を迎える畠山重篤の今一度の大奮闘は、間違いなく4代目の牡蠣養殖漁師の道を継ぐであろう孫のコウイチたちの世代によって後世に受けつがれるに違いないと確信した。
 朝食を済ませ、皆で三陸沿岸漁業の復活を祈願して御崎神社にお参りした。二日目は場所を一関駅に近いホテルに移し、復興に向けて、総勢20名にも上る参加者より、自らの思い、すでに始められた被災実態調査、復興への基本的な考えや具体的な技術等、実に多様な思いや考えが表明された。中でも、挨拶に立たれた畠山さんは、震災以来トレードマークになった髭の奥にひそませた熱い思いを押し殺すかのように静かに「海に恨みはない」と断言された。これほど重みのある深い思いのこめられた言葉に接したことがないと誰しもが熱い思いに駆られたに違いない。この大震災からの真の復興を自らの生きる道に重ね合わす気持ちが会場を満たした。引き続いた皆さんの発表も思いに溢れたものばかりであり、いつも適切に研究会のまとめをされる安田先生も敢えてその場でのまとめはされず、参加者それぞれの思いやまとめに委ねられた。
 今後、この研究会でのいろいろな意見を基に、森は海の恋人のこの地から、必ず三陸のみならず、日本の新生につながる現地発のモデル的な復興の取り組みが生まれることを確信した。森は海の恋人の理念をもとに現実を大きく変える力に転化する技術、林業と沿岸漁業の同時的・相補的再生を柱にした地域を蘇らせる上で極めて優れた技術、の提案がなされている。この地には、すでに他の地区に先駆けてもう一度海とともに生きて行く(海に恨みはない)ために集団で高台に移住することを決意した人々の輪がある。畠山重篤と言う信頼すべき優れたリーダーがいる。そして、この間の森は海の恋人運動の広がりから全国からの応援の熱い思いが溢れている。日本を生まれ変わらせる命を紡ぐ理念とそれに裏打ちされた確かな技術がある。これらをすべて包含した新たな学問を生みだす大きな流れがある。これほど、日本を再生する条件が整った場所があるであろうか。日本をこの三陸から蘇らせる大きな流れが生み出されることを参加者全員が感じたに違いない。
 この研究会の世話役を務められた畠山 信さん(NPO法人森は海の恋人事務局長)から、皆さんのあまりに熱い思いに触れ、「やけどしそうになりました」との連絡がその夜寄せられた。皆様、本当にお疲れさまでした。

続きをクリックしてください。 ビオフイリア緊急提言を掲載しています。
 ↓
22日に国連大学で開催されます緊急支援シンポジュウムにおいて提案 このシンポの基調講演は畠山さんです。

森里海連環を復興から新生への柱に
 ―森は海の恋人による三陸沿岸漁業の再生―
  田中 克(京都大学名誉教授、(財)国際高等研究所チーフリサーチフェロー)

5月5日に楽しい子供の日を迎えるはずであった多くの子供たちを含む掛け替えのない人命を奪い、生活と生産基盤を根底から覆した大地震と巨大津波の直撃からすでに2カ月近くが経過した。絶望的とさえ思われた被災地にもさまざま支援の手が及び、復旧から復興への歩みも見られ始めている。しかし、一方では、これまでは見えなかった、災害の想像を超える深刻な影響も顕在しつつある。とりわけ、先の見えないどうしょうもない絶望感や孤独感から、極度の心的ストレスに悩む人たちが、医療体制の不備から急増していると言う。この間、東北人が世界を驚嘆させた冷静沈着さ、忍耐性、他者を思いやる気持ちの限界を越えようとしている。
 東北は、食料の大半を海外に依存する我が国の中で、自給できる限られた掛け替えのない地域(地方自治体)である。その中でも重要な役割を担ってきた沿岸漁業は、漁業従事者の死亡、漁村の壊滅ならびに90%にも及ぶ漁船の流失により再起不能と言えるほどの甚大な打撃を受けた。
大地震と巨大津波の直撃は、経済成長至上主義の下で明日の生活の利便性や物質的豊かさを求め過ぎた人々(私たち自身)の在り方へ、今一度自然への畏敬の念を取り戻し、自然と折り合いをつけながらより循環的かつ持続的な社会への転換を促す警告に違いない。海から拓く食料自給への道を具体化する沿岸漁業再生を、この地に根付く“森は海の恋人”の理念を土台に据えて、大震災からの復興を超えて日本を新生を目指す提言を行う。

1.復興に当たっての基本的視点
 未曾有の大震災から日本はどのように立ち直ることができるであろうか。千年に一度と言われる自然のメッセージの受け止め方には、今後時間の経過とともに様々な温度差が出てくるであろう。これまでの経済成長最優先の路線上での単なる復興ではなく、自然との直接間接の関わり方を根本的に変える日本らしい“新生”こそ目指すべきであろう。
(1) 自然への畏敬の念を取り戻す好機
 自然は私たちに多くの恵み(それは物質的のみならず、心の豊かさなど)をもたらしてくれるとともに、時には激しく危険極まりない脅威的な大変動を示す存在である。すでに、多くの指摘がなされているように、これは紛れもなく自然の存在の意味を考え直し、再び自然への畏敬の念を取り戻す絶好の機会と考えられる。今回の被災がこれほど甚大になった大きな背景の一つには、このことを忘れた人類のおごりの結果でもあろう。しかし、こうした自然の恩恵を良くわきまえ、自然とともに生きてきた東北三陸地方に集中的な被害がもたらされてことは、悲劇としか言いようがない。樹齢千年の木は、自然の温かさと厳しさをすべて受け止め、何事もなかったかのように、静かにたたずんでいるだけに人はその前で謙虚になることができるのであろう。近代的な先端技術をもってしても作り出すことのできない存在だからこそ、人は畏敬の念を抱くに違いない。
(2) 第一次産業に軸足を置いた国づくり-総合的第一次産業の創出
 林業、農業、畜産業、漁業などは本来自然に依拠した産業であり、相互に補完し合う関係にある。また、この土地や海に依拠した第一産業は、命に直結した(日々他の生き物の命を食べる)存在でもあり、共に手を携える存在でもある。しかし、循環的並びに環境保全的視点よりも、一層の効率性を求めるがゆえに、これらの産業は全く個別に展開され、場合によっては互いに負の影響を与える関係さえ顕在化している。かつて、海の産物である魚糟や海藻草類は農作物の肥料として有効に活用され、地域経済を潤していた。森里海連環は、水がつなぐこれらの第一次産業は同じ自然生産基盤をもち、相互に密接に関連して同時的に再生を可能にする総合第一産業への転換を促す。森の腐葉土で涵養される水の中に含まれる溶存鉄などの微量物質(さらには道の様々な物質)は農作物の生育にも、水産物の生産の出発点になる海の基礎生産に欠かせないのである。ここには、我が国古来の稲作漁撈文明の科学的根拠が存在する。
(3) グローバル化一辺倒からローカル化優先への転換
 大震災が予想をはるかに超える甚大な被害をもたらしたのは、著しく多様性と地域性を喪失した、効率最優先のエネルギー供給システムをはじめとするインフラ整備の在り方に大きな疑問を投げかけている。多くの避難住民が電気・油・ガスの供給を絶たれる中で、威力を発揮して命を救ったのは薪ストーブであった。このことは、生活基盤の一律化から多様化への転換、地域の特性に見合った生活基盤の整備の必要性を促している。世界は市場経済原理主義の下に急速なグローバル化に身を委ねてきた。“想定外”の巨大な地震と津波による“想定を超える“甚大な被害をもたらした現実は、地域に応じた多様な生活や産業の在り方、すなわちローカル化こそ自然の激変により順応的に対応できるのでないかと世界に問いかけている。
(4) 我が国の“科学技術”の在り方と先端技術万能からの方向転換
 科学は本来、人間の意志や価値判断からは中立であり、人間にとって都合のよい技術とは別の次元の存在である。しかし、我が国では、「科学技術」として両者はセットで捉えられ、しかも不幸なことに、科学は経済成長や物質文明を一層発展させる技術を生み出すための道具であるかの如くに位置づけられ、すぐには役に立たない基礎科学は見捨てられつつあり、この傾向は最近の日本では日に日に強まっている。今回の巨大地震や大津波を、科学は予想して警告を発してきたが、技術はそれらを視野に入れたものではなく、“想定外”を免罪符としていいのがれに終始した。今こそ「10mの堤防ではなく、20mの堤防を」の発想から決別し、科学の存在を見直すとともに、ハードの技術優先ではなく、人々の気持ちをつなぎ合わせるソフトな技術の導入こそ不可欠である。
(5) 縦割りの硬直した社会から、横断的思考型の柔軟な社会への転換
 すでに大震災から2カ月が経過するにもかかわらず、未だ多くの人々が住む家や生活を支える仕事等、今後の生きて行く展望が全く見出されないままに置き去りにされている。このような状態に至っているのは、あまりに巨大な災害であったからだけではなく、行政をはじめとする社会の構造が縦割りに縛られ、災害と言う極めて総合的な問題に対して迅速柔軟に機能しえない結果でもある。それは、こうした時にこそ真価を発揮すべき学問やその拠点である大学もしかりであり、今こそ個別細分化のみの縦割りから、現実の複合的な課題に対応可能な統合化が不可欠である。大学がその真価を発揮して科学の大切さを社会にアピールする好機であるとともに、このことに対応できなければ、大学の存在そのものが問われる厳しい局面にあると見るべきであろう。科学の在り方が問われる今、それは科学者の責任そのものも問われているのである。

II. 復興への二つの道
 すでに政府レベルの復興構想会議が動き出し、数回の会議や現地視察が行われている。今後この会議の傘下にある復興検討部会において、構想の具体化がなされると思われる。このトップダウンの復興構想の具体化とともに、今最も重要な復興へのアプローチは、これとは逆のボトムアップの復興の具体化であろう。その根拠は、災害の状況は地域によって極めて多様であるとともに、住民の希望や復興への願いも千差万別であり、トップダウンの復興構想はこのような多様性を最も大事にすべき復興ではなく、一律の平均化した復興案にしかなり得ないと危惧されるからである。
 すでに三陸各地では、沿岸漁業の復活に向けて多様な取り組みが進められており、地方自治体から政府に対して様々要望が出されている。トップはボトムのこのような地域に根ざした切実な要望を最も大切にして、それを支援する“トップダウンの判断”こそ求められる。三陸各地から生まれた地域再生の取り組みは、おのずと各地域間の連携へと進み、より大きなうねりとなる事が期待される。このようなボトムアップの取り組みがトップの構想に反映するモーメントこそ、この大震災からの復興に不可欠であり、忘れかけた地域の特性に応じた多様性に富んだ社会を再生する基本と考えられる。このような三陸地域のボトムアップの取り組みを全国的に息長く支援する多様なつながりの輪を広げる取り組みもまた不可欠である。

III. 三陸復興の基本理念としての森里海連環
 我が国は国土の67%は森で覆われ、その周辺は亜寒帯から亜熱帯に至る極めて多様な海に囲まれた森と海の大国である。多くの島嶼とリアス式海岸に代表される複雑に入り組んだ海岸線の総延長は地球1周の85%にも及ぶ。温暖な太平洋と日本海には黒潮と対馬暖流が流れ、海を渡る風は多量の湿気を含み、日本海側の豪雪や太平洋側の台風の来襲により多量の水がもたらせる。この降雨は森を育み、森は水を涵養して2万本以上の川や地下水により海にもたらされ、沿岸域のみならず外洋の海の生物生産に寄与してきた。あたかも、それは人体にたとえれば循環系のような存在である。
 しかし、20世紀後半の科学の著しい発展を基礎に、多様な先端的技術が生み出され、自然の摂理を無視した過度の物質文明を発展させてきた。その結果、今世紀のなるべく早い時期に解決を迫られた多くの地球的課題を顕在化させてしまった。地球の2大基本構造である陸域と海域の本来的なつながりの断絶もその具体的な現れと言える。陸域を代表する森林生態系と海域生態系は本来多様につながり、人はその恩恵を受けて暮らしと産業を営んできた。それにも関わらず、人は経済成長を最優先し続け、明日の暮らしの利便性を追い求め、この掛け替えのないつながりをことごとく壊してきた。多くの命を奪った沿岸部の低地のかなりの部分は、かつては海(干潟域に代表されるエコトーン)であった事実を厳しく受け止め、再検討することを突き付けられている。
 このことは、20世紀後半に急速に発展した科学やそれに依拠した技術は個別細分化の道を突き進み、20世紀の地球的課題が極めて総合的であることに十分に対処しきれない弱点を露呈している。今、我々が直面している東日本大震災からの復興に当たっても、まさにこの問題が深く関わると言える。2003年に京都大学フィールド科学教育研究センターの設置とともに提案された、自然と自然、自然と人、そして人と人の多様なつながりの再生を目指した新たな統合学問「森里海連環学」は、この問題の解決に不可欠と考えられる。なぜなら、それは自然と人間社会のいわば“免疫系”を修復することを最終目的とした学問だからである。
 折しも、巨大地震と大津波の直撃を受けた三陸地方、気仙沼には“森は海の恋人”運動が20数年間も発展的に続き、今では全国にその運動と理念は広がり、根付いている。森は海の恋人運動とそれを新たな統合学問として支える森里海連環学の基本的視点とその理念に根ざした漁業をはじめとする三陸の生業を再生することにつながる技術を総動員して、つながりの再生を柱に据えた復興を地域に根ざして進めることが肝要と考えられる。そのモデルになり得る動きが始まっている。

IV. 日本を新生させる「気仙沼唐桑モデル」の創生と展開
 森は海の恋人運動は、今では小学校5年生のすべての社会の教科書に紹介されるほど、全国に広くその存在が知られている。牡蠣の養殖ができなくなったのは、自らが漁場を荒廃させたのではなく、森が荒廃したことによるとの直感から、漁師仲間とともに「牡蠣の森を慕う会」を作り、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山に漁師による植林が始められた。その後、この運動に意気を感じた森の人々や行政を巻き込み、さらに森と海をつなぐ物質は溶存鉄であると言う科学的な知見も明らかにされ、その運動は全国に広まった。この運動を先導したのが畠山重篤氏である。今回の大震災においても、三陸沿岸漁業の代表的な担い手あり、同時に復興の鍵を握る存在としてマスコミからも注目を集めている。同氏の「海に恨みはない。海と漁業は必ず復活する」との発言に、多くの国民が逆に元気づけられている。「森は海の恋人緊急支援の会」にもすでに40道府県から600名にも及ぶ皆さんから、熱い思いのこもった多額の支援の寄付が寄せられている。
 畠山さんが牡蠣養殖業を営む宮城県気仙沼唐桑地区では、40軒のうち巨大津波の直撃を免れたのはわずかに6軒である。この地区のほとんどの人々は牡蠣養殖やアワビ・サザエ・ワカメなどの磯根資源を採集する沿岸漁民であり、ほぼすべての漁船・漁具・養殖筏を失った。中には、肉親を亡くした方もいる。それにもかかわらず、圧倒的多くの地区住民は「もう一度海とともに生きて行きたい。低地に家を再建することはもはやできないので、集団で高台に移り、漁業を続ける」との意思表示を他の漁村に先駆けてされている。すでに3代目のカキ養殖漁師としてこの地にしっかり根を張り、20数年の森は海恋人運動を先導してきた優れた信頼すべきリーダーが存在し、その運動の新たな展開により三陸のみならず、日本を元気することに希望を託してエールを送る多くの全国からの支援がある。森は海の恋人を支える森里海連環学や、命を紡ぎ合う新たな文明を目指す“ものづくり生命文明”を指向する多様な人々のつながりの輪がある。さらに、森は海の恋人の理念を実現に移す上でなくてはならない林業再生に結びつく優れた技術の提供がある。これほど、地域に根ざした復興モデルを生みだす優れた条件が整った場所は他にはないであろう。
(1) 林業と漁業の同時的・相補的再生への展望
 森は海の恋人運動の目的の柱は、豊かな海を再生するに生物多様性に満ちた豊かな森を再生することにある。そのためのシンボル的な催しとして漁師による植林が続けられてきた。同時に、人々の環境意識の変化や自然を大切にしながら生きるライフスタイルの大切さを訴えて、子供たちのための“臨海学習”を20年以上にわたって継続し、今ではその活動はNPO法人「森は海の恋人」に発展的に継承されている。このような地道な取り組みによって、この地域(気仙沼大川流域)には上流部の林業従事者、流域の農業従事者、そしてリアスの汽水域に生きる漁業従事者の間に、流域一体の意識が育まれている。より典型的には、上流の林業再生と下流の沿岸漁業再生は共通の問題であるとの意識の共有がある。
 このような運動ならびに流域一体の価値観の共有は、この地だからこそ真の流域再生の展開が可能との全国からの技術的支援の輪が広がりつつある。その代表的なものが、EDS(Ecology Dry System)と呼ばれる柔らかい木や竹を硬化する方法である。これまで、国際連合工業開発機関(UNIDO)の協力・支援の下に、東南アジア等においてパームヤシの木のように寿命が終わると伐採されて廃棄されていた木を特殊な方法(EDS処理:薫風システム)に堅固な建材に変えることにより、資源の有効利用に貢献してきた実績を持つ。この方法は、間伐材やはびこるばかりの竹をも効果的に硬化させ、様々用途に広く利用できる手法である。この方法を開発したEDS LAB(群馬県勢多郡富士見村)並びにこの手法の普及と多様な応用方法を研究する武蔵野美術大学の研究グループから技術の提供をはじめ全面的な支援が寄せられている。
 木造住宅は、これまで耐震性に劣るとの理由でその普及が進まなかったが、京都大学大学院地球環境学研究科(地球環境学堂)の研究グループは、間伐材を利用して簡便で震度7にも耐える極めて耐震性に優れた枠組み工法(フレーム工法)を開発し、すでに京都大学の構内や遠隔施設には6棟のセミナーハウスなどができている。淡路阪神大震災を経験した兵庫県には集合住宅がこの工法で建てられ、注目されている。今後、一般住宅とともに、大震災時の仮設住宅とともに、公共施設内にそこに逃げ込めば大地震にも安全が確保されるシェルターとしても利用すべき工法である。
 これら二つの技術は、基本的には地元の間伐材を有効に活用し、林業ならびに地元の大工さんや工務店の仕事を増やす地域再生を目指していることが重要である。大津波の危険性からの回避は、家を高台に建てることにより確保されるが、大地震の危険からの回避には耐震性に優れた住宅の導入が不可欠であり、堅固な建材で耐震性に優れた家屋の建設は地域再生の柱に据えるべきものと考えられる。他の地域に率先して高台に集団移転することを決めた唐桑の漁師さんの家をこのような方法を駆使して作ることを起点に、上流の林業を再生に向かわせることができれば、まさに林業と漁業の同時的再生のモデルとなる。
(2) 木質バイオマスに依拠した暮らしの再生
 三陸地方には、人の暮らしの原点に位置する農林水産業が根付いていた。それは自然と折り合いをつけながらの暮らしが存在することを意味する。ここでは、自然の循環の中で暮らす土壌が存在し、より自然再生的なエネルギーの有効利用を、生活の利便性より大切にする価値観が健在と考えられる。流域一体の中で、豊富な森林資源を基礎に地域ごとの木質バイオマスに依拠した暮らしを再生するモデルになり得る条件が整っている。地域単位の木質バイオマスによる冷暖房システムの導入(オーストラリア等の農村では導入されている)、さらに間伐材などやこれまでは産業廃棄物とされて処分されていた使用済の古材を活用した木質発電の導入など暮らしと生業の両面への木質バイオマスを有効に活用する地域再生へと大きく踏み出すことが重要と考えられる。
 このような木質バイオマスの積極的な導入は、これまでなかなか進まなかった林業の再生や活性化に確かな道を開くとともに、ハウス栽培等にこれまでの重油ではなく木質バイオマスによる木質ボイラーを導入することにより、林業と農業の連携の道を広げることにもなる。一方、漁村にも地域冷暖房システムの導入や漁船を木質発電、あるいは太陽エネルギー発電や将来発展が見込まれる洋上風力発電などによる電気で動かす漁船を普及させることにより、低環境負荷型漁業の先駆的事例を生みだすことが可能となる。
(3) 湾奥低地の干潟への再生
 三陸沿岸域において甚大な被害を受けた多くの低地は、もともとは海の一部であり、中には干潟として掛け替えのない役割を果たしてきた場所も多い。このような場所において、“想定外”の取り返しのつかない被害を受けたことを、謙虚に受け留めるなら、可能な限りそのような場所は元の干潟に戻す“公共事業”を進めるべきである。そのためには、適当なモデル試験地を定め、再生の精密な実験に早期に取りかかることが不可欠である。
 気仙沼唐桑地区の舞根湾奥にもこのような低地が広がり、ここに建てられていたすべての住宅は大津波によって倒壊・流失し、住民は高台への移住を決意している。巨大地震によるプレートの移動に伴う地盤沈下は60cm前後にも及び、この低地には海水が浸入し、すでに塩性湿地と化している。ここではかつて干潟としてアカガイやアサリが沢山採れたと言う。このような干潟は、有明海をはじめ全国各地で失われ、沿岸環境と沿岸漁業がすたれる大きな原因になっている。単なる復興ではなく、新たな自然と社会を生みだすシンボルとして、この舞根湾奥部を干潟に再生するモデルに指定し、研究者と地元住民が共同で中長期的に再生への過程を解明するモデルにできれば、その波及効果は図り知れないと考えられる。
(4) 舞根森里海連環研究所の設置
 日本を再生させる、そしてその先に自然循環的でより持続的な社会を生みだし、日本全国、さらには世界に発信し得る拠点としての研究所をこの地に創設して理念・実践・研究を統合的に深化させるシンクタンク、「舞根森里海連環研究所」(仮称)を設置することが未来にとって極めて重要と考えられる。まずは、そのシンボルとして、NPO法人森は海の恋人事務局機能を担う建物をEDS工法とフレーム工法を駆使して立ち上げることとする。

 東日本と言う広大な被災地を抱える大震災からの復興に、気仙沼唐桑と言うピンポイントでの復興モデルが如何に効果的かに疑問を挟む向きも当然予想される。先にも述べたように、復興へのアプローチとして、地域に根ざしたエネルギーを基にしたボトムアップの先駆的事例を牽引車として走らすことは極めて重要である。同時に、そのようなピンポイントの取り組みを、同じような課題を抱える三陸沿岸漁業基地と連携することにより、点から線へと拡大、さらには、今後長く続く復興への歩みを全国的に支えるための多様は全国展開(各地での復興支援講演会・シンポジュウム等の開催)により、面へと広めることが重要である。
 当面は、5月12日、13日に開催される自治体経営学会(会長:片山総務大臣〉でまとめられる復興緊急提言、22日に開催される国連大学・環境省主催の緊急支援シンポジュウムでの問題提起、さらには6月には大阪市と大分県日田市、7月に京都市、8月以降は高知市、富山県南砺市、愛媛県宇和島市、小田原市などでの講演会・シンポジュウム等を通じて全国的にこの取り組みの意義の普及と支援の和を広げる訴えを続けて行く準備が進められている。
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